ドーバー海峡横断泳の歴史
   ドーバーの街にやって来て散策すると、すぐに「ドーバー博物館(DoverMuseum)」を
 見つけることが出来るでしょう。
 中に入るとご多分に漏れずドーバーの歴史や伝統、文化などが展示されているのですが、
 スイマーとして特に目を引くのは「チャネルスイマー」のコーナーがあることです。
 おそらく日本のご当地博物館で「水泳」を展示しているものは無いのでは…、と想像しています。
 もちろんインターネットでも観ることが出来、チャネルスイマーの歴史を知ることが出来ます。
  http://www.dover.gov.uk/museum/resource/swim/swim1.asp
  インターネットではドーバーの街に訪れる観光客相手にドーバーを案内するホームページ
  http://www.doverlife.co.uk/があり、そこにもチャネルスイムの紹介や記録が掲載されています。
  http://www.doverlife.co.uk/channelswimming/
 このようなサービスを私はまだ日本国内ではまだ見たことがないので、うらやましく思います。
 もちろん、2007年に泳いだキンちゃん(藤田美幸)の記録なども掲載されていますよ。
  <http://www.doverlife.co.uk/channelswimming/swim/1776/1/2007>
 
  このように街を上げてチャネルスイミングに積極的なことが、
 ひいてはドーバー海峡が世界に君臨する横断泳の桧舞台になっているゆえんだとも思えます。
 この他、2007年に「テレグラフマガジン」でキンちゃんを題材にチャネルスイムの紹介をしています。
  <http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2007/09/22/sm_channelswimmers.xml>
 ご覧になってみてください。
  さて、Shane Mageeのウェッブサイト「History of English Channel Swimming
  <http://ezinearticles.com/?History-of-English-Channel-Swimming&id=467382>」によると、
 「距離は22マイル(約34km)だけだが、寒さと速い潮流で、10%の人々だけが実際に反対側に行くのを
 意味します。」となっています。
 これはおそらくかなり昔のことを言っているのだと思われます。
 現在は船舶の進歩(リアルタイムの情報収集、データ解析、航海機器の進歩など)、
 スイマーの向上(栄養補給品の充実、トレーニングに科学の導入、水着の進歩など)により、
 成功率は60%程度まで上がっています。
 
  ドーバー海峡横断泳の最初の挑戦者はJ.B Johnsonですが、
 1872年8月24日に1時間03分泳いだだけで引き上げられてしまいました。
 その3年後(1875年)の4月10日、Paul Boyton(アメリカ)が15時間で初の成功者になりましたが、
 彼はその時、水掻きと背びれを組み込んだ(空気などで)膨らますことの出来るゴムのスーツを着ていたのです。
 しかしCaptain Matthew Webb <http://www.shropshiremining.org.uk/captwebb.shtml>(イギリス)は
 その人工的な補助器具を冷笑していました。
 そしてトランクス、ゴーグル、ワセリン、時々摂る食料。
 それだけで同じ年の8月24日〜25日にイギリスからフランスへ21時間45分で泳ぎました。
 泳法は平泳ぎ、彼が36歳のときでした。2回目の挑戦で、泳いだ距離は50マイル(約80km)だそうです。
 これが“公認チャネルスイム第1号”となったのです。
 それまでに70回以上の挑戦があったことを考えると、彼の業績がいかに大きなものであるかがわかるでしょう。
  チャンネルスイムの魅力ある部分は、この純粋主義的姿勢のWebb伝説による厳しいルール
 (一般的な水着のみで、途中、助けを借りない)によって支えられているという事実と、
 その精神が今も脈々と伝承され生き続けているところにあるようです。
 ただWebbは初の完泳者ではありません。しかし彼の偉業こそが“水泳のエベレスト”として
 今も世界に君臨するドーバー海峡横断泳を最高峰に育て上げたパイオニアであることは間違いありません。
  さてWebb方式でその後、多くの挑戦者が現れましたが、次の成功者が出るまで36年の歳月が流れました。
 1911年9月5日、Thomas W. Burgess(イギリス) <http://www.shorpy.com/node/41>
 2番目の成功者になりましたが、何と13回目の挑戦で22時間35分かかりました。
  1923年8月12日、Enrico Tiraboschi(イタリア)
  <http://www.dover.gov.uk/museum/resource/swim/swim4.asp>は、
 フランスからイギリスへ泳いだ始めての男性(16時間33分)になりました。
 1875年から1949年の間にイギリスからフランスには4回、フランスからイギリスには16回の
 スイムが成功しています。
  どうやらフランスからイギリスへの方が好都合な潮のために簡単なルートとして認識されていたようで、
 世界初の女性チャネルスイマー(史上6番目)Gertrude Ederle(アメリカ)
  http://en.wikipedia.org/wiki/Gertrude_Ederleも、1926年8月6日にフランスからイギリスに向かい、
 14時間39分(当時ベストタイム)で成功させました。
 しかし現在ではフランスからイギリスへの1-wayルートは禁止されており、
 2-wayでも3-wayでも出発地はイギリスになっています。
  1950年代に入るとドーバー海峡横断泳は人気が高まり、老若男女が挑戦するようになりました。
 そして1-wayのみではなく、1961年9月21日、Antonio Abertondo(アルゼンチン)が
 初めてノンストップで2-wayを43時間10分で達成させ、
 1981年にはJohn Erikson(アメリカ)が3-wayを38時間27分で泳ぐという切り札を勝ち取りました。
 中には2006年現在で43回(2-way、3-wayを含む)も横断泳を成功させ、
 ギネスブックにも載ったAlison Streeter(イギリス)も現れるようになりました。
 
  Webbの成功以来7,000名以上の人々が挑戦し、約1,300回(900名)程度の人が
 130年以上前と同じ挑戦を成功させています。
 そしてちょうどWebbが泳いでから132年目(2007年)の同じ日(8月24日)に、PetarStoychev(ブルガリア)
  http://www.acswim.org/SwimmerProfiles/Men/PetarS/PetarStoychev.htmは世界で始めて
 「7時間を切る(6時間57分50秒)」と言う驚異的な速さでグリ・ネ岬に着岸したのです。
 この世界記録をWebbはどのように見ているでしょうか?
 
  日本人においては1970年に中島正一がフランスからイギリスに向かって泳ぎ、成功させましたが、
 途中、ウェットスーツを着用したために公認にはなりませんでした。
 他に、A(氏名不明)は貧乏旅行でとうとうカラケツになり、
 イギリスに住む知人に借金の申し込みのためフランスからドーバーを泳いで渡った、とあります。
 この新聞記事によると「夜、星を見ながら泳ぎ、寒さに震えたときは母親の名前を叫びながら泳いだ。」
 となっていますが、ドーバーを知っている人にはちょっと自殺行為のようにも考えられます。
  また、「コリアン先生」こと作家「遠藤周作」の親戚筋で、日大の柔道部出身のB(氏名不明)が
 ドーバーを泳いだ、との情報もあります。が、中島正一は国士舘大アマチュアレスリング部出身で、
 遠藤周作の親戚筋ではありませんから違う人だと思われます。
 また1980年以前の公認チャネルスイマーについて調べましたが、残念ながら日本人の明記はありませんでした。
 公認で日本人初のチャネルスイマーは大貫映子で1982年7月31日に、3回目の挑戦において
 9時間32分(日本記録)で泳ぎました。
 以来2007年までに13名(19回)の日本人チャネルスイマーが誕生しています。
 そして日本人最多泳者は2007年現在で5回成功させている「キンちゃん」こと「藤田美幸」です。
 
  いずれにせよ世界のチャネルスイマーはWebbの記念碑に刻まれた言葉の本当の意味を誰よりも理解しています。
 「'Nothing great is easy.(偉大なことで簡単なものは何もない。)」
  参考ウェッブサイトは、上記のほかに「Marathon and Long-Distance Swimming
  <http://www.soloswims.com/>」も使用しました。